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mikiochiba さんの日記

 
2011
8月 14
(日)
08:10
本文
 牡鹿半島応援団のページに使われている「水揚げ」の写真。これを見て普段は記憶の底に沈んでいる幼い頃の記憶が『映像』のように浮き上がってきた。


 主に幼稚園に行く前だったが、母の従兄弟たち(屋号は『あだご』で、私はほとんど『あだごの孫』のようなものだった)に定置網の網起こしに連れていかれた。「浜風は寒いから」と、手ぬぐいで頬被り。寒い時期には厚着と首にマフラーを巻いたスタイル。それでも本人はいっぱしの漁師気取りだった。


 焼玉エンジンの親船が数艘の手漕ぎの和船を引っ張って出港。暗い海を10分ほど走る。


 定置網の設置している場所に着くと、一気に空気が緊張する。和船が親船から離れ、網の周りを取り巻く。

 何時もは優しい「でーぼ」さんの合図で掛け声をかけながら力を合わせて網を引く。私は親船からそれを眺めるか、和船に移って皆に混じり網を引く手伝い。

 といっても、網は重く子どもの手に余る。顔を赤らめ、全身に力を込めて引いても「お手伝い」には程遠かった。


 やがて網の底のほうに大きな渦巻きが見える。魚達が逃げ回っているのだ。網が引かれると共に、その渦巻きが表面に湧き上がってくる。

 帰りはまた焼玉エンジンの親船を先頭に和船を引くのだが、大漁の時には大漁旗を掲げる。時には母の従兄弟に支えてもらって蛇輪に取り付く。

 振り返ると朝日が昇ってくる。明るさを増した唐丹湾を大漁旗を風に靡かせながら走るのは、実に快適・爽快。子ども心にも、本当に本当に「誇らしい」ものだった。

 水揚げを終えると朝飯だ。

 番屋には中央に大きな炉が切られていて、火が熾され、自在鉤に吊るされた大きな鍋にぶつ切りの魚とたくさんの野菜が煮えて、味噌のいい香りが漂う。大叔母さん(祖母の妹)らの女子衆が用意してくれたのだ。

 熱々のご飯に、熱々の味噌汁。おかずは皿に大盛りされた刺身と串焼きの魚。そして美味しい漬物など。

 大叔母がそっと「三樹男ほら」と『はらこの醤油漬』けをご飯の上にてんこ盛りしてくれることも。それがカゼ(ウニ)だったり、アワビだったり。

 炉端を取り囲んだ大人たちに混じって飯をかっ込む。味噌汁をすする。

 火の照り返しで大人たちの顔が赤鬼に見えたりして……。


 これらの全てが好きだった。

 今でも光景が映像として浮かんでくる。


 ――これが私の『原風景』である。

 

 



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