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TOP  >  日記  >  mikiochiba  >  デキゴトロジー  >  「専門家」という存在の功罪

mikiochiba さんの日記

 
2011
10月 8
(土)
15:54
「専門家」という存在の功罪
本文
 先日、国会閉会中の異例の委員会審議をTVで見ていた。といっても、時々チラチラ見聞きしていたに過ぎないのだが。

 それにしても、細野原発担当大臣は相当にお疲れらしい。目が虚ろの表情が何とも気の毒というか哀れというべきか。

 そして、
「除染に全力で取組む」とか
「専門家の知恵をお借りして」
 といった答弁。

 相変わらず、彼は事態の本質が理解できていないらしい。目の前の現実は彼の能力やこれまでの経験を超えているからだ。彼は京大法学部の出身と聞いているが、さぞかし「学校のお勉強はおできになった」のだろう。

 お利口といわれ、親や教師、教科書に忠実・従順。疑問も持たずお勉強に取組んだ……。

 しかし、今はそのことが最大の弊害を生じている。

 これまでに「習っていないこと」を突きつけられているからだ。それも凄まじいばかりの現実である。それに対応するには「固定観念に縛られていて」はダメだ。

 専門家のいう「除染」という言葉を信じて推進しているが、それが汚染物質の環境への拡散になっていることをご存知でない。実際、除染という名目で放射性物質を含んだ『汚染水』が環境に垂れ流されている。このことをきちんと認識しているのだろうか?

場合によっては
「平時の秀才は戦時(今回のような異常事態を含む)の鈍才以下になる」
 という経験は太平洋戦争で痛いほど経験している。

 このことは肝に銘じるべき。


(期待しているだけに厳しく指摘した。憎まれ口もたたいた。私なりの好意である)


 また「専門家」というが、彼ら核の専門家はこれまでどのようなことをしてきたのか。

 譬えていえば、「便所のない家」(原発)を作り続けてきた。そしてまた、今も「便所のない家」(環境に配慮を欠いた除染)を作り続けている。

 いわば、教科書で習った『除染』--研究室などの狭い閉鎖系での方法を、そのまま開放系のフィールドで使っているに過ぎない。

 前提条件が異なれば結論は自ずと変わってくる。この「論理学というのもおこがましい初歩の初歩」も理解していないようだ。

 要するに、日本には「核○○学」や「核××学」の専門家はいても、全体を総覧して広く環境などへの知見を持った「核の専門家」はいない。残念だが。

 いたら、まともな方法を提示しているはずだ。

 今の日本に必要なのは『核環境学』ともいうべき分野の専門家である。少なくとも「環境に対する知見」を有する人物だ。

 
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